ヒラヤマヒロシ プロフィール


一級建築士 第 359708 号

ドイツ政府登録建築家 A 33957 ( AKNW Germany )

1966年 奈良県大和郡山市生まれ。

1991年 大阪工業大学建築学科卒業、同年渡独。

1992年 ドイツ国立クンストアカデミー・デュッセルドルフ建築学科(修士課程)にて、エリア・ゼンゲリス教授に師事。

1996年 同アカデミーをゼンゲリス教授のマイスター・シューラー(直訳は親方学生=首席相当)として修了。

日本人としては初めて建築家エリア・ゼンゲリスのアトリエに迎えられる。クンストアカデミーで指導を受けながら、助手としてアムステルダムのベルラーへ・インスティテュートにも同行。1995年からは熊本アートポリスのプロジェクト「芦北青少年の家」設計のため、ジガンテス・ゼンゲリス・アーキテクツのアテネオフィスにて半年間勤務。1996年の修了後一時帰国。1997年に再渡独し、ドイツ最大手の設計事務所、RKW建築都市計画事務所 ( RKW Rhode Kellermann Wawrowsky Architektur + Städtebau 現 RKW Architektur + )に招かれ、チーフデザイナーとして勤務

2002年 デュッセルドルフにて独立。勤務したRKWに加え、HPP、Ingenhoven Architectsという有名設計事務所を主なクライアントとし、計画、デザイン、プレゼンテーション資料作成などの業務を引き受ける傍ら、自身でもコンペティションに参加する。

2006年 帰国。神戸市にてアンチポデス設計社設立。 2017年、西宮市に移転。

コンペティションやプロジェクトだけでなく、物販・飲食店舗の内外装、家具・照明器具等のプロダクトからポスター・ポストカード、CIデザインやウェブ等のグラフィックスまで手掛ける "ナンデモデザイナー"。

主なコンペティション

地下鉄ヴィルヘルム・ロイシュナー・プラッツ駅 国際コンペ (1997) 3位

シュタット・シュパーカッセ銀行 国際コンペ (1998) 2位

ピーク&クロッペンブルク百貨店 国際コンペ (1999) 2位

ガレリア・ヴェントゥノ・ショッピングモール 国際コンペ (1999) 1位

ファザーネンホーフ・オフィスコンプレックス 国際コンペ (2000) 1位

マルチ・カサ・ショッピングモール 国際コンペ (2001) 2位

 (以上、RKW ローデ・ケラーマン・ヴァヴロフスキー建築都市計画事務所に於いて)

神戸市立多聞東中学校 エコ・耐震改修プロポーザル (2006) 優秀賞 (Teo architects と協働)

日本建築家協会主催「建築家のあかり」コンペティション(2007)入選

主な実施計画等

熊本県あしきた青少年の家 宿泊棟、食堂・浴室棟 (1998 竣工) 設計

 (ジガンテス・ゼンゲリス・アーキテクツ アテネオフィスに於いて)

DB Cargo (ドイツ国鉄貨物)本社新築工事 (1997 竣工) 設計

DebiTel (電信会社)本社新築工事 (1998竣工) 設計

Douglas 百貨店 新築工事 (2000竣工) 設計

Space Park Bremen 新築工事 (2001竣工) 主任設計

Allianz Düsseldorf 保険 社屋新築工事 (2002竣工) 主任設計

EnBW Baden Würtenberg (エネルギー会社)本社新築工事 (2004竣工) 主任設計

 (以上、RKW ローデ・ケラーマン・ヴァヴロフスキー建築都市計画事務所に於いて)

西宮市神園町住宅(私邸 2017年竣工)

パブリケーション

Jean Philippe Darcis バレンタイン2009,2010パッケージ 月刊ブレーン2010年5月号に掲載

同パッケージ ピエ・ブックス デザインコレクション "シンプルグラフィックス"(2011)に収録

ドローイング作品 ドイツの専門誌 Vision der Handzeichnung に収録

エリア・ゼンゲリス

1935年生まれ、ギリシャ・アテネ出身の建築家、教育者。

1961年にロンドンの AA School を修了し、63年から同スクールで教え始める。1975年パートナーのゾエ・ゼンゲリス、レム・コールハースとそのパートナー、マデロン・フリーゼンドルプらと共にOMA(Office for Metropolitan Architecture)を設立。1982年に行われたパリのラ・ヴィレット公園のコンペでは、優勝したベルナール・チュミの案よりも世界で話題となり多くの建築家に影響を及ぼした。その後1987年のチェックポイント・チャーリー・ハウス・プロジェクトを境に分裂。現在のパートナーであるエレニー・ジガンテスと共にジガンテス・ゼンゲリス・アーキテクツを設立、主宰。80〜90年代には、モダニズム再考の動きが盛んになる中で、その指標的存在となる。エリア・ゼンゲリスの指導を受けた建築家には、故ザハ・ハディッドもいた。

ロンドンの世界的建築学校 AAスクール(Architectural Association School of Architecture)をはじめ、オランダのベルラーへ・インスティテュート(Berlage Institute)、ドイツの世界的美術学校クンスト・アカデミー・デュッセルドルフ(Kunstakademie Düsseldorf) 、スイスのメンドリージオ建築アカデミー(Accademia d'Architettura Mendrisio)と、多くの学校で指導している。

2000年、氏の優れた教育に対して英国王立建築家協会より、権威あるアニー・スピンク・アワードが授与される。